全ての教育の目的は『ほんとうの”自立”』です。
間違いなくこれが過去からずっと変わっていない教育の目的です!
僕の塾でも目標のひとつとして掲げます。
『ほんとうの”自立”』は子育てをする親も、学校も、会社の管理職も、教育する立場にある人の共通目的にして最大のテーマです。
ほんとうの”自立”を果たせば、悩みや不満やストレスが解消されたり、夢を見つけて力強く追いかけることができます。
逆にほんとうの”自立”を果たせなかった場合、たった一度きりの人生を自分以外のために生きることになります。

自立とかできてるやろ。

ほんとうにそうかな?
「”自立”なんてとっくにできている」と思っている大人にこそ、この記事は強く刺さります。
今一度”自立”について考えていただき、子どもに「ほんとうの”自立”」のための教育を与えてください。
9割の人が勘違いする”自立”の意味
世の中のどれだけの人が”自立”をしているでしょうか?
僕は1割程度の人しか『ほんとうの”自立”』をしていないんじゃないかと思います。

大人はみんな自立してるやん!

そんなに”自立”って簡単なのかな?

簡単簡単!お金があればおれも自立できるし!
ではまず『ほんとうの”自立”』の意味を考える前に、あなたの思う”自立”を想像してみてください!
僕がこれから”自立”とされている物事の例を挙げていくので一緒に確認していきましょう!
- 社会人になること
- 親元を離れること(実家を出ていくこと)
- 自分のお金だけで生活すること
すみません。そんなにたくさん出てきませんでした。(^^;)
どうですか?自分の考える自立と同じでしたか?
これらの例もまぎれもなく”自立”です。

ほらな!これくらい大人はみんなできてるやん!

いや。全然足りてないんだ。
先ほど挙げた例をまとめると次の二つになります。
- 経済的な自立をすること
- 社会的な仕事の責任を持つこと
”自立”が何かを考えるとほとんどがこの二つに行き着きます。
しかしこの二つの要素だけでは「ほんとうの”自立”ができた」ことにはなりません。
かといって『ほんとうの”自立”』は僕が”自立”に新しく意味を持たせているわけではないんです。
では”自立”を辞書で引いてみましょう。
じ-りつ【自立】
他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること。ひとりだち。
出典:広辞苑

何がちゃうの?

”支配”が忘れ去られているんだよ
広辞苑のとおり”自立”本来の意味には「援助を受けない」だけでなく「支配も受けない」ことも含まれています。
”支配”の意味を考えずして”自立”は成しえないのです。
つまり『ほんとうの”自立”』は『本来の”自立”』の意味の通りであるということです。

別に支配されてなくね?

では次に支配の意味を考えていこう!
- ”自立”本来の意味には「支配も受けない」ことも含まれている。
- 『ほんとうの”自立”』は『本来の”自立”』の意味の通り。
『ほんとうの”自立”』は”支配”も受けない
『ほんとうの”自立”』が何かを考えた時、切っても切り離せないのが他者からの”支配”を受けないこと。
”支配”っていうとちょっと誤解を生みそうなワードですね。
まるで悪い組織に弾圧されているかのような言葉です。
中にはそのイメージ通り”支配”されていることを理解して”支配”されている人もいます。
しかし多くの人は”支配”されている感覚もなく”支配”されています。
自ら選んで”支配”されているのです。

それはさすがに言い過ぎやろ!

いえ。本当です。なんなら僕もまだ抜け出せていません。

この話してる本人も!?

それほど『ほんとうの”自立”』は難しいんだよ。
多くの人は”支配”抜きで”自立”を考えていますが、本来の意味の通り”支配”を含めて”自立”を考えるとほとんどの人が”自立”を成しえていないと言えます。
まず”支配”を広辞苑で調べてみましょう。
し-はい【支配】
ある者が自分の意思・命令で他の人の思考・行動に規定・束縛を加えること。
出典:広辞苑
つまり誰かに自分をコントロールされることですね。
そんなにあからさまにコントロールしようとしてくる人はいません。
ここで取り上げるのは他者にコントロールされるのではなく、他者のために自分から”支配”されることを選んでいる人です。
広辞苑からもわかるように”支配”されている状態とは『自分の意思で言動を決定できない』状態のことで、これに当たる人は”自立”を成しえていません。
自分の意思の問題なのでこれはつまり精神的な問題です。
つまり”自立”とは上項で述べた「経済的な自立」に加えて、社会的な責任を持つことまで包括した「精神的な自立」も含めてはじめて『ほんとうの”自立”』と言えるのです。
”自立”と”他立”
自立は支援や支配を受けることのない状態であること、つまり意味的には「経済的な自立」と「精神的な自立」の両方を含むことをご説明しました。
「精神的な自立」とは自分の意志で決めて話したり行動することです。
これが難しいため「経済的には自立できていても、精神的には自立していない」大人が多くいます。
経済的な側面は他者に援助されることはあっても支配されることは少ないでしょう。
親から仕送りをもらうことはあっても、誰かに金をよこせと言われてやすやす渡す人はいないですよね。
でも精神的な側面を見ると他者にやすやすと支配されることがあります。
相手が支配しようとしていなくても、自分から支配されにいくのですから気付くことすら難しいです。
「自分から支配されにいく」という感覚がわかりにくいと思います。
「どうぞ、わたしを操ってください」と自分を差し出すことではありません。
分かりやすいくいうと「自分のため」の選択をするのではなく「他者のため」の選択をしているということです。
「他者のため」に自分の意思を自重し、「他者のため」に行動します。
「自分のため」の行動がいつの間にか「他社のため」になっている状態です。
それが他立であり、精神的な自立ができていないということです。

ん~。ちゃんと自分で考えて行動してると思うけどな~

では具体的に他立を見ていこう!
「精神的な自立」ができていない人の特徴
他立している人、つまり精神的に自立できていない人の特徴をあげてみます。
- 無茶な要求もなんでも聞く
- 言われたことしかしない
- 機嫌を取る
- 褒められるため(評価されるため)に行動する
- 叱られないために行動する
- 親のために行動する
- 見栄のために行動する
ザっとこんなところでしょうか。
「無茶な要求でもなんでも聞く」と「言われたことしかしない」は説明しなくても「精神的な自立」をしていないというのは容易に理解できますよね。
他者に依存しており、わかりやすく”他立”しています。
3~5は自分で「精神的な自立」ができていないことに気づいていない人が多いです。
なぜなら自ら進んで行っているからです。
一見「自分のため」と思っている行動も、なぜその行動をとったのかを考えると、「他者のため」だったということです。
たとえば今のあなたの仕事。なぜその仕事をしているか考えると、
- 「親が納得するから」
- 「友達が羨むから」
- 「女の子にちやほやされるから」
- 「世間的に評価されるから」
こんな理由があったりしませんか?
それは「あなたのため」ではなく「他の誰かのため」です。
「他者にどうみられるか」という他者依存の思考に支配されており、”他立”の状態です。
詳しくは以下の記事で説明しています。
なぜ『ほんとうの”自立”』ができないのか
日本人は自己主張が苦手な傾向にあります。

あ~日本のトラはシャイって言うな!

それは知らんわ。
「精神的な自立」をするには自己主張をする勇気が必要です。
それゆえ日本人は「精神的な自立」が苦手であり、ゆえに『ほんとうの”自立”』が苦手です。
自己主張が苦手な理由は様々ありますが、勇気の問題であると同時に自己主張せずに「周りに合わせる」「他者の指示に従う」方が楽に生きれるから、ということが言えます。
自分の意思で何かを決めるのは難しいことです。
世の中やってみなきゃわからない、正解か不正解かわからないことなんてたくさんあります。
でも何かしらやらなきゃいけない。
プロジェクトを考えるより、プロジェクトに参加する方が楽。
仕事の方針を考えるより、方針に沿って働く方が楽。
ですよね。
仕事をするうえで考えるべきことはたくさんあります。
- 何をやるか
- どうやるか
- いつまでにやるか
- 誰とやるか
- 予算はいくらか
- 採算は取れるか
大きな流れに身を任せる、他者の指示に従うことは、こうした難しいことを考えなくていいのでとても楽なんです。
また他者の指示に従うことで、あらゆる責任を回避することができます。
このような理由から「経済的な自立」を果たしていても「精神的な自立」が果たせない大人ができあがります。
つまり他者に依存する”他立”を選んで『ほんとうの”自立”』をしないことを自分で選んでいるんです。
教育の目的は『ほんとうの”自立”』
『ほんとうの”自立”』は誰の支配も受けず、自分で決断し行動することです。
そのため、難しい問題であっても自分の意思で決断し、責任を持つ必要があります。
しかし誰だって楽をしたいですし、責任を取りたくないものです。
それは教育者だって同じです。
実は「精神的な自立」、つまり”他立”してしまう人は100%本人だけの責任でもないと思っています。
なぜなら教育者が”自立”の機会を奪っている場合があるからです。
”自立”のために必要な経験は、自分で行動することです。
しかし自由に行動することはリスクを伴うため、責任を負う立場の教育者が行動を制限してしまうことがあります。
親、先生、上司、教育者の多くが責任を恐れて「自分で決めていいんだよ」と言えないのです。
安全で確実な方法に従わせて、教育者自身が自分の身を守ることを優先し、”自立”のサポートを放棄してしまうのです。
必要な機会を十分与えられていない場合、特に子どもは「精神的な自立」を身に着けるのが容易ではありません。
“自立”は教育者が機会を与えなければならない難しい課題なのです。

ほなどうやって教育するん?

自分で考えて行動させ続けるしかないね
また大人にとっても『ほんとうの”自立”』は非常に重要です。
もし『ほんとうの”自立”』ができていなければ、上司に指示を仰いだり、仕事の責任を自分以外に転換したり、上司の機嫌を取ることばかりしてしまいます。
極端な話、そんな人ばかりになると会社は潰れてしまいます。
というかそんな人材、会社にとっては不要です。
仕事に真摯に向き合い、自分で考えて行動できる人材をどれだけ育てられるかが、会社が成長していくためには重要です。
つまり会社にとっても社員の”自立”教育は必須であり、上司やリーダーや人事部など社員を教育する立場にある人は部下の”自立”を教育しなければならない。ということです。
大人も子どもも関係なく、人は『ほんとうの“自立”』ができれば誰にも頼らず自分の判断で生きていくことができます。
やりがい、生きがい、幸せ、全てあなた自身で決めれるということです。
一度きりの人生を誰のために生きるのかを考えれば『ほんとうの“自立”』が重要であることがよくわかりますよね。
『ほんとうの”自立”』のためにすべきこと
『ほんとうの“自立”』が重要であることをお話ししてきました。
では『ほんとうの“自立”』をするために何をすればよいのでしょうか。
簡単に言うと他者に支配されないで自分で選んで実行することが大切です。
そのために意識すべきことはたった2つです。
- 子どもの決断を尊重すること
- 子どもの決断を援助すること
この2点だけです。
イギリスのことわざにこんなものがあります。
「You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.」
日本語で「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という意味です。
援助をするとはこういうことです。
水を飲むのかどうか決めるのは馬であって、人ではありません。
教育も同じで機会を作ることはできても、それを実行するかどうか、習得できるかどうかは子ども次第です。
子どもを水辺まで連れて行ったら、何をするのかは子どもに任せるべきです。
たとえ用意した機会を無下に扱われても、それが子どもの意思を尊重した結果なら問題ありません。
子どもには「自分で決めていいんだ」という経験が1つ積み重ねられます。それは”自立”への一歩に繋がっています。
“自立”のためにすることは、「自分で決めていいんだよ」と伝えること、干渉しすぎず、いつでも援助ができるところからしっかり見守ることが大切です。
具体例を見ながら考えたいときはこちらの記事もあわせてどうぞ!
『ほんとうの”自立”』のためにすべきこと
- 子どもの決断を尊重すること
- 子どもの決断を援助すること
まとめ
いかがでしょうか。
『ほんとうの“自立”』とは何なのか、なぜ大事か、何をすべきかが理解・共感していただけていれば幸いです。
- 「自分の気持ちに素直になること」
- 「自分の気持ちに正直になること」
- 「自分の気持ちにウソをつかないこと」
- 「自分で決めること」
- 「相手の評価を気にしないこと」
これらはすべて「精神的な自立」つまり『ほんとうの”自立”』のほんの一部の中身です。
実際はもっとたくさんの意味を持っています。
相手に支配されず、主体的に自分で自分の人生を決めること。
相手の評価を気にして自分の行動を相手に合わせないこと。
簡単なようでとても難しいことです。
だからこそ重要なんです。
僕自身もまだ『ほんとうの“自立”』を成しえていません。
自分本位になりすぎて、自己中心的になってしまっていないか。
言いたいことを好き勝手言って嫌われてしまわないか。
いろいろ考えてしまいます。
本当は自分の理性に忠実になる勇気が足りないだけなのですが、今まで「精神的な自立」が全くできておらず、受け身な人生を歩んできたこともあり、性格を変えることに時間がかかっています。
しかし、もうハッキリわかっています。
「他人の人生の一部になるのではなく、自分の人生を生きなければ、ほんとうの幸せは得られない。」と
であれば、自分の人生を生きれるように、全て自分の意志で決断し、行動できるように自分を変えていくしかありません。
人は性格を変えるには、生きてきた半分の時間が必要としている学者がいます。
僕はこれから14年かけて『ほんとうの“自立”』を果たしていくことになるでしょう。
あなたの子どもはたったの数年で『ほんとうの“自立”』を身に着けることができます。
そしてそれは性格という一生の武器になります。
僕は塾を『ほんとうの”自立”』のために少しでも多くの機会を与えるための場にしたいと考えています。
- ”自立”本来の意味には「支配も受けない」ことも含まれている。
- 『ほんとうの”自立”』は『本来の”自立”』の意味の通り。
- 『ほんとうの”自立”』は「経済的な自立」だけでなく「精神的な自立」も含む。
- ”他立”は「自分のため」の選択をするのではなく「他者のため」の選択をしている。
- 『ほんとうの”自立”』ができないのは、”他立”した方が楽だから。
- 誰かを教育する立場にある者の最終目的は“自立”
- 『ほんとうの”自立”』のためにすべきことは、子どもの決断を尊重すること。子どもの決断を援助すること
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